親心

毎年、春になると、子どもたちの成長の区切りがあって、
ついに末っ子も都会に出て、3年目の春が来ました。
 家に帰っても誰もいないということは
    一日中旅館にいる私でもさびしいことでした。
        春になると思い出す、山上 憶良の歌
  瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 
栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ 
何処(いづく)より 来(きた)りしものぞ
 眼交(まなかひ)に もとな懸りて 
安眠(やすい)し寝(な)さぬ

 
意味は、
           瓜を食べると子どもが思い出される。
       栗を食べるとまして偲ばれる。
        いったいどこからわが子として生まれてきたのか。
         目の前にしきりに面影がちらついて、
                ぐっすり眠らせてくれない。
 
 
     考えてみれば、3人の子もみな、成人をすぎているというのに、
       親というものは、子どものことを思うと、
         いつも心配ばかりするものですね。
   咲き始めた桜を見ながら
      がらにもなく、感傷的になってしまった・・・。
                    さっ、仕事しよ。
                          おかみでした。